・世界宗教者平和会議と明るい社会づくり運動(1)

・世界宗教者平和会議と明るい社会づくり運動(1)

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私の書いているこのブログを見ているだけでは、何も変わらない!

例えば、このブログからご自身で資料を探したり、正確な情報を確認した方が、どのくらいいらっしゃるでしょうか。

このブログをご覧いただいている皆さんが、本気になり、行動を起こさない限り何も変わりません。

是非、ご自身で出来る事でかまいませんのでアクションプランを考えてみて下さい。

庭野日敬師は、そのことを望んでいると思います。


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世界宗教者平和会議と明るい社会づくり運動

さて、今回は「世界宗教者平和会議と明るい社会づくり運動」についての庭野日敬師のお言葉を資料として提示させていただきます。

あえて、私の注釈は付けません。

出来る事であれば、一度だけお読みいただくのではなく、くり返し・くり返し読んでいただき、庭野日敬師のお心に触れていただければと願っています。

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宗教団体も組織ができてしまいますと、「自分の教団の教えだけが正しい」と考え、排他独善になる傾向も見受けられます。

ところで、私は仏教徒であり、私どもの教団では『法華経』を所依の経典にしており、「さまざまな仏さまが因縁によって菩薩さまの名前で出現してくるが、そのもとをたどれば究極(本仏)は同じである」との立場をとっています。

こう考えますと、神道ともキリスト教とも協力し合うことは可能なわけです。

このことは、私が、昭和四十年にキリスト教の総本山ともいうべきバチカンの公会議にご招待を受けたときの、ローマ教皇パウロ六世猊下の言葉でもはっきりわかります。

猊下は「今後、宗教者同士が協力し合い平和に貢献すること以外、宗教者の進むべき道はない」と話されたのであります。                
                                       
 (S52・9・佼成新聞より)

私はパウロ六世にお会いするまでは、カトリックはけしからん、と悪口を言って歩いたのです。

なぜかといいますと、カトリックは二千年もの伝統をもち、世界宗教として絶大な影響力を世界の人びとに対してもっているのに、その大宗教が、他宗教に対してひじょうに排他的な態度をとっているとしか見えない。

愛と平和を説く宗教が、他の宗教に対して排他独善の態度をとっている限り、宗教は人類の平和のために何の役割も果たすことができない。

宗教の根本義は一つであり、神も仏も、生きとし生けるものの平安を願うことしかないはずだ。世界の平和を実現していくには、どうしても世界の宗教者が協力していかなければならない。

そのためには、世界の宗教界に最も大きな影響力をもつローマ教皇が、まず世界の宗教者と手をにぎろうという姿勢になってもらわなければならない

-そう痛切に感じていたのです。

その私の願いを全国を回って話して歩いたのです。

(中略)

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カトリックは世界中に布教網が行き渡っていますから、どこの国には、どんな宗教団体があって、どんな活動をしているか、というような世界各地の宗教の動きをことごとくキャッチしているのですから、私のことをご存じないはずがなかったわけです。

それを万事ご承知で、パウロ六世が私を百年に一度開かれるバチカン公会議に招待してくださったのです。

私のほうは、そんなこととまったく知らずにバチカンに行ったのですが、向こうでそれがわかって、「さすがカトリックの教皇さまだ、とえらく感心させられたのです。」

そこで、教皇さまにお目にかかってお話をうかがってみると、教皇さまが、こうおっしゃられたのです。

「キリスト教だけで人類を救おうなんておこがましい考えをもっていたのでは、世界平和実現の使命は果たせるものではありせん。キリスト教徒が仏教徒のために祈り、仏教徒がキリスト教徒のために祈るという宗教協力によってのみ、宗教者が人類に貢献していく道が開かれるのです」

その謙虚なお言葉をお聞きして、「これは素晴らしい宗教者だ、さすが二千年の歴史をもつカトリックの教皇さまだ」、と私は心の底から敬服させられたのです。

二千年来、代々の生き神さまと奉られ、異教の存在すら認めなかったカトリックの教皇が伝統の殻を打ち破って、キリスト教徒と仏教徒が手を携え合う宗教協力によって世界の人びとに平和を呼びかけていかなくてはならない、それ以外に宗教者が人類に貢献できる道はない、と慨悔をされたのですから、これは勇気のいることです。

その教皇さまのお言葉を聞いたとき私は、「こういうかたがいらっしゃるなら、世界宗教者平和会議は成功間違いない」と絶対の確信をもったのです。              

 (S53・3・月刊誌 躍進より)

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バチカン公会議から帰ってみますと、すでに日本ではカトリックとプロテスタントのかたがたが、すっかり仲よくなっておりました。

これからは一緒にやっていこう、という空気がみなぎっていました。

私はそれをみまして、リーダーが頭を切り替えることが、いかに大事なことか、リーダーの責任の重大さを思いました。

パウロ六世も、そのことをだれよりも深く感じ、まずみずから俄悔して、人びとに本当に幸せになってもらうためには、神さまのご守護のいただけるような状態にならなければならないとお悟りになり、

宗教協力を訴えられたのであろう、と私は拝察申し上げているわけであります。

いわば生き神さまとして、二千年の伝統をもつローマ教皇が、みずから一介の人間になって俄悔をされ、われわ凡夫の人間同士が仲よくならなければ、世の中が良くならない、

それができなければ、宗教者になった意味がないのだ、と立ち上がられたのであります。

私が自信をもって明るい社会づくり運動を提唱いたしましたのはこの教皇の影響があったからこそです。 
              (S52・8・速記録より)

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※私は、2~3回読んだ事は読んだとは見なしません。

それは、読んだのではなく見たのだと認識していますので、くり返し、くり返し読んでいく事により、今まで気が付かない事に、気が付く事がありますので、是非、実行してみてください。



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インターネット講座 拓塾 - 塾 是

・「拓塾」は実践的理論追求の場であり、活動体である。単なる情報提供、教養を身につける場ではなく、自己改革(自分づくり)の場であり、社会改革(社会づくり)を実践的に促進する場である。

インターネット講座 拓塾 -行動指針

一、自修自得:自修自得を基本として切磋琢磨・自己改革をはかる。

一、先駆開拓:進取の気性・開拓精神・意欲を養ない、時代の先駆けとなる。

一、知行合一 : 知識は行動してはじめて意義がある。 行動につながる学び方を身につける。

・明るい社会づくり運動と宗教活動 ー 庭野日敬師の願いとは、

明るい社会づくり運動と宗教活動 ー 庭野日敬師の願いとは、
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気分転換に清里にある清泉寮のアイスクリームを食べに出掛けました。
しかし、お昼時でしたのでアイスクリームよりもランチにしなくてと思い、ランチの場所を探しましたが、週末と言う事もありどこも満員でした。並ぶのは面倒でしたので、ちょとはずれの小さな牧場のレストランを選びました。

古い建物でしたが中に入ると、おおきなストーブがありアットホームな感じのお店でした。おすすめのランチセットをお願いすると、地元の新鮮な野菜を中心にしたサラダやスープがメインの内容でした。オナーのやさしいこころづかいが感じられる味付けで、とても充実した時間を過ごす事が出来ました。

時には、こんな瞬間も大切だと思います。

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庭野日敬師は、生前にご自身が始めた立正佼成会の活動と、世界宗教者平和会議や明るい社会づくり運動の区分けをしていたのでしょうか。

あなたは、この事をどのように思いますか。

私は、庭野日敬師の中には特別な区分けなどはなく、立正佼成会の活動や、世界宗教者平和会議や明るい社会づくり運動は、一つの同じ目的をもった同じ活動であったと思っています。

しかし、現在の状況はどうでしょうか。

「私達は宗教活動だけをやっていればいいのです。」

「とても、明るい社会づくり運動にまでは手が回らない。」と、

言っているとか、いないとか、・・・・・・・。

「もう、さんざん明るい社会づくり運動には散財してきたので・・・。」と、

耳にする事がありますが、

あなたはどのように受け止めていますか。

私は、以前にもこのブログでも書かせていただきましたが、前・明るい社会づくり運動の会長をされていました井深大氏の言葉を思い出します。

「明るい社会づくり運動に参加する人は、それぞれがもっている信念や宗教を突き抜けなければいけない。」と、

裏返せば、それぞれがもっている信念や宗教の殻の中に、閉じこもっていてはいけないと、受けとめていますが、

あなた自身はいかがでしょうか。

私は、仕事の合間をみて色々な宗教の勉強しています。

まだまだ世の中の諸先輩方からすると若輩者の私です。

でも、それぞれの方々が目指す形や手法はまちまちですが、

目指す所は一緒のようです。

間違っているでしょうか。

もし、この事が間違っていないのであれば、なぜ、現在の明るい社会づくり運動が全国各地でバラバラな活動をしているのでしょうか。また、その事によって急進力が落ちている現実を見過ごすのでしょうか。

庭野日敬師が提唱された本願をしっかりと捉え、一致団結出来る方向を探る事はとても大事な事です。過去の諸先輩方は、とても大変なご苦労をしながら一致団結を目指して来ました。

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もしかしたら、現在の立正佼成会の幹部の方や、明るい社会づくり運動の執行部の方々には、庭野日敬師の本当の願いや思いを理解する事は出来ずに、目先の利益や損得、体裁が優先せざるを得ない状況なのでしょうか。

まして、末端の会員さんのご苦労など分からないのでしょうか。

明るい社会づくり運動の、本当の勇気とはいったい何でしょうか。

是非、あなた自身のこころに問うてみてください。

そして、いつもこのブログをただ見ているだけではなく、あなたの考えを聞かせて下さい。


あなた自身の真摯な誠意に期待して ・ ・ ・ ・ ・ 。


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・「拓塾」は実践的理論追求の場であり、活動体である。単なる情報提供、教養を身につける場ではなく、自己改革(自分づくり)の場であり、社会改革(社会づくり)を実践的に促進する場である。

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一、自修自得:自修自得を基本として切磋琢磨・自己改革をはかる。

一、先駆開拓:進取の気性・開拓精神・意欲を養ない、時代の先駆けとなる。

一、知行合一 : 知識は行動してはじめて意義がある。 行動につながる学び方を身につける。

・庭野日敬氏が考える、明るい社会づくり運動に不可欠な事とは、

・庭野日敬氏が考える、明るい社会づくり運動に不可欠な事とは、

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私は常々思う事に中に、「どこまで馬鹿になりきれる事が出来るのか」が私自身の課題だと思っています。

それは、口先は綺麗な事を言っていても、その内心は自身の思惑や損得ばかりを考えている方々をたくさん見て来た事もあると思います。長年に明るい社会づくり運動に関わるようになり、様々なタイプの人達と触れ合う中で自然とそのように考えるようになりました。

また、逆に「私は自身の思惑や損得で動くのだ」と言っている方もいますが、その人の方が正直で嘘を言わない分いいかなとも思う時もあります。

色々なタイプや考え方がありますが、庭野日敬 師は、以下の事をおしゃっていますが、あなたはどう思いますか。

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どこまで馬鹿になりきれる事が出来るのか

庭野 日敬 著 『開祖随感』 (佼成出版社) より


私はいつも、みなさんに「ばかになれ」とおすすめするのです。

もちろん「ばか」といっても、愚か者のことではありません。

現代人は、毎日、知識のシャワーを浴びているようなもので、

頭のよい人、利口な人ばかりが多くなっているようです。


頭がよすぎると、

人の言うことがばからしくて聞けなくなります。


人の言うことを素直に信じることができなくなり、

なにごとも先を見通せるつもりで、

「そんなことは、とても不可能だ」と決めつけ、

初めから手をつけようとしない、

といった生き方になりがちなのです。


それにひきかえ、利口ぶらない人は、

みんなが「できない」と決めてしまうことでも、

「これが正しい道ならば」とコツコツと手がけて、

ついに大事を成し遂げてしまうのです。


これが、私の言う「ばかになる」ことです。


初めのうちは、

「あんなことをやっても、

むだなのに」と冷ややかに見ていた人たちが、

うならずにいられなくなってしまうわけです。


自ら志願してばかになりきる、

その心のゆとりこそが大切なのです。  


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あなたの心には、どのように響きましたか。

その響きが、あるのか・ないのかが、とっても大切になります。



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・「拓塾」は実践的理論追求の場であり、活動体である。単なる情報提供、教養を身につける場ではなく、自己改革(自分づくり)の場であり、社会改革(社会づくり)を実践的に促進する場である。

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一、自修自得:自修自得を基本として切磋琢磨・自己改革をはかる。

一、先駆開拓:進取の気性・開拓精神・意欲を養ない、時代の先駆けとなる。

一、知行合一 : 知識は行動してはじめて意義がある。 行動につながる学び方を身につける。