
昨日までの厳しい寒さも、ようやく山を越えたようです。凍えるような空気の中でじっと耐えてきた日々の向こうに、これからは少しずつ春の息吹が感じられる陽気が広がっていきます。
やわらかな日差しや、どこか軽やかな風にふと気づくと、季節は確かに前へ進んでいるのだと感じます。私たちの心もまた、知らず知らずのうちに春へと向かっているのかもしれません。
急がず、比べず、ただ訪れるあたたかさをそのまま受け取りながら、新しい季節のはじまりを味わっていきたいものですね。
・人生心がけ ‐ 庭野日敬師著より | 明るい社会づくり運動のポイント
今日も、庭野日敬師の著書を手に取りました。「人生心がけ」と言う著書ですが冒頭の「はじめに」に書かれている内容ですが、私たちのあり方についてとても大事な事をお話していますので、ご紹介させていただきます。

人生心がけ
庭野日敬著 佼成出版社 平成7年9月1日発行
はじめに
仏教には独特の用語がありますし、ふだんは使わないような文字もたくさん出てきます。加えて、同じ言葉でも宗派によって読み方が違うこともあって、仏教関係の本は難解なものとして、一般の人にはあまり親しまれないのが実情のようです。
お釈迦さまは一切衆生(生きとし生けるもの)を救うための教えをお説きになったのですが、難しい言葉が障害になって、お釈迦さまのお心が現代に生かされていないのは、まことに残念なことです。
たとえば、伝教大師のお言葉に「忘己利他」(もうこりた)というすばらしい教えがあります。読んで字のごとく、己を忘れて他を利するように努めるという意味ですが、これを初めて耳にする人は「もう、こりた」と聞いてしまいます。笑ってすませる話ではありません。人びとに真の幸せを約束するはずの教えが、言葉の難しさによって正しく伝わっていないことに、仏弟子の一人として責任を痛感せずにはいられません。
真理の道は、その時代のだれもが「なるほど」と理解できる言葉で説かれたときに初めて、人びとの日常生活に生かされるのです。
もちろん、真理には科学の世界における真理をはじめ、いろいろな分野にそれぞれの真理がありす。また、自然の摂理や因果律といった表現もそれに含まれるかもしれません。それでは仏教真理は何かと問われたら「三法印」であると言えましよう。
三法印とは、
諸行無常(すべては変化する)
諸法無我(孤立して存在するものは何一つとしてない)
涅槃寂静(この二つの真理に徹すれば、おのずから執着や拘泥する心がなくなり。
安らかな境地が開ける)
という真理です。
しかし、私たちは専門の僧侶ではありません。学者でもありません。一般の社会生活を営んでいる庶民です。笑ったり、怒ったり、愚痴を言ったりして生活している人間です。しかし、その世俗の世界と宗教の世界は一体のもの、というのが大乗仏教の立場です。大乗とは、「みんながいっしよに救われるための大きな乗り物」という意味なのです。
ですから、私たちが家庭にあっても職場にあっても、経営者であろうと、会社勤めであろうと、その生活をとおして大乗仏教に入ることができます。「大道無門」という言葉がありますが、大衆のための仏教では、「ここからでなければ入れない」というような、決まった門はどこにもないのです。どこからであれ、どのようなことを契機としてでも、その門に入っていけるのです。
では、日常生活で私たちはどのように三法印の真理を体していけばいいのでしょう。仏教はどのような実践をすすめているのでしょうか。それに、明快に答えてくれるのが、次の話でしょう。
鳥棄禅師と呼ばれる高僧が
中国の唐の時代に鳥棄禅師と呼ばれる高僧がおりました。木の上で坐禅を組んで、下を通る人にさまざまな問いを発して仏道に導くという、変わったお坊さんです。当時、都に名をとどろかせた詩人の白楽天が、地方長官としてその地に赴任した際、噂を聞いて禅師を訪ね、「仏法とはどのような教えか承りたい」と問いかけました。禅師は、それにこう答えられます。
「さまざまな悪をなさず、もろもろの善行を積み、己の心を浄める。これが世に出られた諸仏の教えである」(諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸仏教)
白楽天は、そのくらいのことは先刻承知と、「禅師が言われるようなことなら三歳の童子でも知っておろう」と問い返します。すると禅師が、ズバリと切り返したのです。
「なるほど、三歳の童子も知っていようが、八十の翁も実行できないのだよ」
これが仏教の要諦です。
・
仏法のことを梵語で「ダルマ」と言いますが、
それは「保つ」「担う」「支持する」という意味の言葉で、人がこの世で生きていくのに欠かせぬ杖となるもの、それが仏法であると中せましよう。この「ダルマ」を中国の人たちは「法」と訳しました。
法には、法則・最高の真理・基準・聖典などの意味が含まれております。八万四千の法門というように、仏教には数多くの教えがありますが、そのすべては三法印に発し、三法印に帰結します。それに違背するものは一つとしてありません。
現代の社会はマニュアルのない時代、簡単に一つの答えが出せない時代であると言われます。本書をまとめるにあたっては、できるだけ仏教用語を使わずにその教えの大要をお伝えするよう心がけ、また私の言葉の乏しさを補うために多くの方々の人生とお言葉を引用させていただきました。努めて日常生活に息づくものにしたいと願ったからです。心からお礼を申し上げます。
仏教が示す三法印の教えが、
私たちの日常の生活にどれほど深くかかわっているか、読者のみなさまの毎日を生きるヒントになれば、喜びこれに過ぎるものはございません。
平成七年初夏 庭野日敬師著
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私は、明るい社会づくり運動の為に一生懸命に地域で一生懸命に頑張っている方の意見を踏みにじる事はあってはならない、と考えています。そのような方々の意見や意思を真摯に伺い活動に反映していくことが不可欠なことだと思います。
また、私たちの活動が多くの人たちに支持されている。この活動が庭野日敬の思いや願いに沿っている・かなっていると捉える事が出来て来ると活動に活気が生まれます。活動に意欲が生じて来ます。
いかがでしょうか。
私のこのブログを眺めているだけでは何も変わりません。
法華経のすばらしさは理論・理屈だけではありません。
法華経は実践の教えです。
庭野日敬氏は、その事に生涯を掛けたのです。
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インターネット講座 拓塾 - 塾 是
・「拓塾」は実践的理論追求の場であり、活動体である。単なる情報提供、教養を身につける場ではなく、自己改革(自分づくり)の場であり、社会改革(社会づくり)を実践的に促進する場である。
インターネット講座 拓塾 -行動指針
一、自修自得:自修自得を基本として切磋琢磨・自己改革をはかる。
一、先駆開拓:進取の気性・開拓精神・意欲を養ない、時代の先駆けとなる。

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