・庭野日敬師が目指した明るい社会づくり活動とは!

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・庭野日敬師が目指した明るい社会づくり活動とは!

昨年のの元旦に起きた能登半島地震のその後の能登豪雨の事は気掛かりでなりません。


また連日連夜、報道されていますウクライナとロシアの事もイスラエルとハマスの事も気がかりでなりません。

視線を自身の外に向ける時に様々な、不安定な出来事が繰り返して起きていますが、「他人事」として捉えるのではなく、その人たちの立場に立って考え・捉えて見る視点は大切な事だと思います。

その事が、明るい社会づくり運動の今後の活動のヒントになるはずです。明るい社会づくり運動は「自己満足の為の活動」ではないはずです。


生かされている今に感謝します。

そして、微力ながらひとりでも多くの方の支えになれるように、今日も精進を重ねて参ります。


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庭野日敬師の発言されたお言葉を再度拝読させていただいています。

今、私達が考えている事や、これからの活動に誤りはないのか。

また、庭野日敬師の思いや願いにかなっているのか、否か。

再点検です。


先日、機関誌「佼成」(昭和53年11月号)に掲載されている内容を拝読させていただき、とても奥深い事を述べていると感じましたので、是非、庭野日敬師の思いや願いを、感じ取っていただきたいと願い以下にご紹介させていただきます。

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 最近、いい言葉を学びました。

アメリカへ出かけた折、ホテルで読んだ山田無文老師のご本に、臨済の教えが出ておりました。

「無位の真人」いう言葉ですが、なるほど昧わいのある、いい言葉だと思いました。

だれもが自分は凡夫なんだ、と決めてかかっている世の中ですが、それを自分には何の位もないが、われこそ真の人間なんだという自信に変えていったら、それだけでも世の中は明るくなるはずです。

また、それを説くことによって、集まってきた人たちに参加を呼びかけていく場所をつくることができれば、第一段階の成功といっていいでしょう。

むろん、この運動を立正佼成会のためにしようとする気持ちはありません。

第一、宗教協力といった言葉一つにしても、ただ教団を大きくしたいというだけのことなら、無駄なことです。

協力し合うからには、他の宗派の人たちに向かって、「あなたのところより、うちの教団のほうがいいからいらっしゃい」とは言えるわけがありません。

明るい社会づくり運動も同じです。

ところで、「国民皆信仰」は、新宗達がめざす四つの柱のうちの一つですが、この目標を果たすためには、なんらかの形で、これが宗教者の生き方だという行ないも見ていただきたいし、話も開いていただきたい、と私はかねがね考えていました。

それに沿って提唱してきたのが、明社運動です。

また、そうしてお互いが相手を尊重し会って、仏性を拝みながら協力していけば、この世の中はたちまち極楽になると確信しています。(中略)

この世を極楽にするもしないも、心の置きどころ一つですから、集まってくる人びとが真の人間になれるか、なれないかによって、それが決まるのです。   

   
機関誌「佼成」(昭和53年11月号)
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あなたには、どのうように響きましたか。

大切な事は、あなたの心の響きです。

あなたの感性に、どのように響いたのか、響かなかったのか、です。


お互い様に、様々なご苦労があると思いますが精進・努力して行きたいと思います。


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・「拓塾」は実践的理論追求の場であり、活動体である。単なる情報提供、教養を身につける場ではなく、自己改革(自分づくり)の場であり、社会改革(社会づくり)を実践的に促進する場である。

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